法華経

ほとけの教え
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お釈迦様は、人の世の悲しさ、淋しさを誰よりもよくご存知でした。
私たちが滑稽なほど必死になって追い求める名誉や物質的な欲望。
その深い深い欲望にさいなまれ、溺れ、そして傲慢と不遜と貪欲に満ち、突然おそいかかる猜疑と孤独と絶望。
そして、その末の、病と死の予感に打ちひしがれていく姿……。

このさまざまな私たちの姿をご覧になり、「さあ、はやく、ここにおいで」と慈しみ、いたわりの御手を差し伸べて、「わたしは衆生に仏知見を示し、開かしめ、悟らしめ、仏の道に入らしめんという大きな目的と役割を果たすために、この世に生まれてきたのだ」と、語りかけてくださいます。

それまでの、すべては神の意志によって生滅し変化していくとされていた世の中の事柄は、すべて因と縁によって起こるものという「縁起の理」であることに気がつかれた(覚った)のが釈尊の"さとり"です。

三界さんがいやすきことなし 火宅かたくごと

衆苦充満しゅうくじゅうまんして はなは怖畏ふいすべし  つね生老病死しょうろうびょうし憂患うげんあり

かくごと  熾然しねんとして まず

法華経譬喩品ほっけきょうひゆほん

人間の世界は、まさに火に包囲された家に等しく、多くの苦悩が充ち満ちて恐ろしい限りであります。

生老病死(しょうろうびょうし)、愛別離苦(あいべつりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐふとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)などの四苦八苦(しくはっく)にあえぎ苦しみ、その燃え盛った火はいつになっても消えそうにありません。

しかし釈尊は、道を求めて歩いた修行の過程で、心の鏡にとらえた「苦を生ずる因果関係」の究明と、それを解き明かした経緯を携えて、教えを乞うすべての人々に、抜苦与楽の智恵を説いてくださいました。

わたしたちがなによりも大切にする『法華経』とは、このような教えなのです。

そして、わたしたち日蓮誠宗(にちれんまことしゅう)は、お釈迦様がお説きになったこの『法華経』を、なによりも大切なものとしています。それは『法華経』が人類をはじめ、生きとし生けるものすべてに対する、深い愛情と慈悲に満ちあふれた「やさしさの法」だと信ずるからです。

そこには、悠久の時の流れや、広大無辺な宇宙の広がりを背景に、深遠なる真理が散りばめられています。

そして、この『法華経』こそがわたしたちを救うただ一つの《法》であることをご自身のお身体と命をもってご教示になり、わたしたちに手渡してくださった日蓮大聖人の慈悲あふれるお心をお慕いし、この教えを皆様にお伝えすることがわたしたちの使命であり、宗門の誇りであると考えています。

皆さん、ぜひご一緒にこのお教えを信じて、学び、修行し、未来につながる力強い生命を発見し、生きる勇気と希望を得ようではありませんか。